酷いネタバレがあります。
ご注意。
小川一水の作品。
これまで、小川一水といえば『第六大陸』を読んでいますが、基本的には、この作も『第六大陸』も同じ。要はテクノロジーの進歩で、人類はより豊かな世界を手に入れることができるという楽天主義に彩られた思想を元にしています。
アーサー・C・クラークも同じ思想で作品を書いていて、クラークの作品は人間が書き割りの登場人物みたいで生きていない(リアリティがない)という批判をうけていますが、小川一水に関しても全く同じ批判が当てはまるような気がします。
しかし、クラークの特に『楽園の泉』で顕著なのですが、その書き割りのような技術者が登場するものたがりは実に面白い。宇宙にポッカリと浮かぶ円筒形のラーマ(宇宙のランデブー)や、天まで一直線に伸びる宇宙エレベーターなど、絵が頭に浮かぶようで、いずれも大好きな作品です。
むしろ、晩年になって他の作家と共作した作品は、ちょっと生臭い人間模様も描かれていて、科学解説書を物語仕立てにした前述の作品と比べて、文芸作品としてはレベルが上がっているのですが、これが全然面白くない。クラークの本質は人間を書かないことにある、とすら思っています。
小川一水も同じようなスタンスに居るはずなのに、何故かこちらは人間が書けていないことによるリアリティの欠如がすごく気になります。
『第六大陸』では何がいけないのか、よく分からなかったのですが、今回の『不全世界の創造手』を読んで、はっきり分かりました。
性善説に基づく登場人物たちが、夢のテクノロジーを駆使して世界を変えていく物語なのに、その変わるべき世界が何だか変に生臭くて、しかも「ちょっとそれはないだろう」とピントがズレている点があるということです。
アメリカを主体とする資本主義経済の先進国は知的財産権を非常に大切にしていて、GATTからWTOへと貿易の枠組みを変えたのも、ひとつには知的財産権を守るため。GATT(貿易と関税に関する一般協定=単なる協定)からWTO(世界貿易機関=固有の組織を持つ機関)という強力な存在へとヴァージョンアップしてまでも、知的財産権を守り(誰から? もちろん激しく追い上げてくる途上国から)、それが同時に自分たちの経済的優位を守るという枠組みを作っていこうとしているのです。
そのアメリカを元にしたお金持ちグループ(西欧先進国)がGAWPという、誰かから無理矢理でも特許を取り上げて、皆に配る、というような組織を作るわけがない。
主人公の開発したテクノロジーは驚異的なもので、もちろんアメリカはこれを欲しがるだろうと思うが、そのために弄する策はもっと違う物になるとおもう。
この一事でこの物語のリアリティは決定的に損なわれている。ましてや、アメリカ(裏で糸をひくWARP)に追い詰められた主人公達は中国に活路を求めて、中国籍の会社を作って自分たちの発明品をさらに世界に広めていくという展開に至っては、めちゃくちゃとしか言いようがない。
中国のような人治国家(法治ではない)が目の前に「金のなる木」を見せられて、しかもそれが自分の手の届くところにあったら、さっさと主人公達を排除して手に入れるに決まっている。